HOME ブランドサイト 江戸を楽しむ 江戸の食文化~その①~

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第十六回

江戸の食文化~その①~

 世界文化遺産に登録され、世界中から注目を集めている〝和食〟。その基礎は江戸時代に完成しました。特に江戸では外食産業が異常発達し、当時の日本の食文化を牽引していたのです。

 何故なら江戸には男性があふれていたから。江戸は1590年(天正18年)に徳川家康が入府した時に初めて大規模開発に着手した新興都市です。1603年(慶長8年)に幕府が開かれると天下一の城下町としてのインフラが整備されましたが、1657年(明暦3年)の大火でほぼ壊滅し、復興のために空前の建設ラッシュが始まりました。こうして都市建設のために必要な土木人足=男性が地方から大量流入するようになったのです。

 彼らによって生み出された食文化が昼食。それまでの日本人の食事は基本的に朝食、夕食の2回でしたが、それでは長時間の肉体労働に耐えきれないという事で第三の食事=昼食が定着。浅草寺門前に日本初の定食屋といわれる奈良茶飯屋(茶で炊いた雑穀ご飯+汁もの+おかずのセットを提供する飯屋)が出来て以降、昼食を提供するための飲食店が乱立するようになっていきました。

 食自体のバリエーションが爆発的に増えるのは、いわゆる調味料のさしすせそ(砂糖・塩・酢・醤油・味噌)の量産体制が整ってから。中でも江戸料理の特徴は甘味、つまり砂糖をふんだんに使う事にあると言われています。江戸時代初期から黒砂糖は薩摩藩(鹿児島県)を通じて流通し安価に手に入りましたが、白砂糖は輸入に頼る状況が続き超高級品となっていました。しかし8代将軍・徳川吉宗が白砂糖の国産化を奨励したことで、高松藩(香川県)を中心に量産化に成功。江戸時代後期には安定供給が可能になり、料理にも気軽に白砂糖を使えるようになったのです。

     

 風月堂が京橋で初めて店を開いたのも調度この頃。初代は「これから甘味が来る」という時代の流れを読んでいたのかも?!

本文イラスト:ほーりー

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