HOME ブランドサイト 江戸を楽しむ 江戸の食文化~その②~

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第十七回

江戸の食文化~その②~

 日本橋から京橋までの800メートルあまりの道路は通り町筋と呼ばれたお江戸のメインストリートです。徳川家康が開発した商業・経済の中心地で、風月堂が江戸時代後期に店を構えた南伝馬町もこのエリア内にありました。
 
 繁華街につきものなのが飲食店。実は通り町筋は「仕事の合間に素早く食事を済ませたい!」というニーズからファストフードの激戦でした。例えば呉服屋の白木屋脇の横丁、日本橋通一丁目新道には軽食店が集まるフードコートがあったんです。

 中でも一番人気だったのが蕎麦屋の東橋庵。

 浮世絵や戯作などにも数多く登場する当時の有名店です。蕎麦は江戸っ子のソウルフードともいえる存在で、成人男性は毎日のように外出先で蕎麦を食べました。〝二八蕎麦〟と呼ばれるように値段は2×8=16文(400円弱)と安価で、どんぶり一杯で完結する手軽さも魅力です。「安い、早い、うまい」の代表格はせっかちな江戸っ子にぴったりでした。

 また脚気予防にも一役買っていたようです。
 
 当時の食生活の中心は米。特に全国から年貢が集まる江戸では庶民でも精米した白米がたらふく食べられることが自慢でした。ただ精米した米からはビタミンB1が摂取できず、脚気が大流行していたのです。当時の人びとにはその理由が分からず、江戸に行くと罹る病=江戸患いと恐れられていました。しかしビタミンB1が豊富に含まれている蕎麦を食べると脚気に罹りにくいという事が体験的にわかり、蕎麦を食べることが習慣化していたんですね。
 
 通一丁目新道には他にも寿司屋、天麩羅屋、鰻屋が軒を連ねていました。現在では高級店のイメージが強いですが、江戸時代には屋台飯の代表格でれっきとしたファストフードです。日本橋の袂には魚河岸があり、江戸湾、隅田川で取れた新鮮な魚介類が毎日大量に安価に仕入れることが可能だったんです。羨まし~!

本文イラスト:ほーりー

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