HOME ブランドサイト 江戸を楽しむ 江戸の食文化~その③~

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第二二回

江戸の食文化~その③~

 江戸の食文化が成熟した文化文政期は食の高級化が進んだ時代。例えば握りずし発祥の店とされる松鮨はブランド価値が上がり、一貫250文(およそ5000円!)なんてメニューもあったとか。もともとは屋台から始まったファストフード(第十七回参照)だというのに随分強気ですが、裏を返せばそれだけニーズがあったということでしょうね。
 
 料理茶屋、現在でいう所の料亭が出来たのもこのころです。相撲番付に見立てた料理屋番付も盛んに出版されました。全部で6000軒はあったという飲食店のなかから選び抜かれた200軒が掲載され、大関、関脇、小結、前頭といった序列でランク付けされているので、さしずめお江戸のミシュランガイドといった感じです。

 中でも別格の勧進元に君臨しているのが八百膳。時の十一代将軍・徳川家斉も出向いたという江戸随一の高級店で、「御茶づけ一杯1両2分(およそ10万円!)」だったなんて逸話も残っています。なんでも香の物は促成栽培で特別に作った瓜と茄子を使い、茶は玉露、米は越後の一粒選り、水は玉川上水の取水口まで汲みに行くという手間暇がかかっての事だそうです。現在だったら炎上騒ぎになりそうな価格設定ですが、「それなら納得!」と笑って許せたのが当時の美食家たちの心意気という所でしょうか。このように食は道楽の域にまで達し、江戸の食い倒れと呼ばれるようになっていきました。
 
 ちなみに、当時風月堂が営業していた京橋・日本橋地区の有名店と言えば百川。百川は日米和親条約を締結したペリー一行総勢500人に饗応料理を出したと言われています。1人前3両(およそ24万円!)かけて作ったといいますから和食の威信をかけて渾身の献立を提供したのでしょう。ただ、ペリーの感想は「・・・味が薄い。」でした。トホホ。肉食や濃い味付けになれたアメリカ人には淡泊過ぎるように感じたのかもしれませんね。

本文イラスト:ほーりー

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