江戸を楽しむ

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第二一回

節分のお話

 節分は季節を分けるという言葉の通り、立春、立夏、立秋、立冬の前日、つまり年に四回訪れます。江戸時代ごろから特に立春の前日の節分を重要視するようになりました。旧暦の節分は12月の下旬で大晦日に当ることもあり、一年の節目となる重要な年中行事だったんです。現在では2月3日なので、その本来の意味合いが分かりにくくなってしまいましたね。
 
 節分といえば豆まきですが、豆は魔滅まめ=魔を滅するという意味が込められていて江戸時代当時から必須アイテムでした。他にも「鬼は外、福は内」の掛け声や、鰯の頭を柊に刺した柊鰯ひいらぎいわしなど現在もみられる基本的な習慣はおおむね当
時も行われていたようです。
 
 ただ行う場所によって更に+αのイベントが発生していました。
 
 例えば大奥では年男(豆をまく役の事)を御留守居役という高齢の男性役人が務めるのですが、終わった後に女中達に胴上げをされるという謎の儀式がありました。一見役得に思えますが、胴上げに参加した女中達は年男の着物を引っぱってもみくちゃにしたり、面白がって体を突っつきまわしたといいますから年男にとっては受難以外の何物でもなかったでしょう。日頃は男子禁制の大奥。男性が物珍しかったのか、はたまた単なるうっぷん晴らしだったのか(笑)。どちらにしろ大いに盛り上がるイベントだった事は確かです。

 また、風月堂のような大店では年男が座敷に撒いた豆を年の数だけ拾って食べるべく、奉公人の老若男女が大騒ぎで競い合いました。それが落ち着くと、主人から福茶(参照、梅干し、黒豆を加えて煮たお茶)や蕎麦が振る舞われて皆で食事をしたんだとか。節分は一年の節目の日に職場の絆を深める大切なレクリエーションだったんですね。

 旧暦の世界観では節分の翌日からが春になります。豆まきをして新たな気持ちで春を迎えましょう!

本文イラスト:ほーりー

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