江戸を楽しむ

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第二五回

お汁粉と善哉

 冬の鉄板スイーツ・お汁粉と善哉!関東では汁気があるものをお汁粉、無いもの(熱い餅に小豆をかけたもの)を善哉と呼び、関西では両方汁物で小豆の粒の無いものをお汁粉、あるものを善哉と呼んで区別しますよね。何故こんなに紛らわしい差があるのでしょうか。

 お汁粉の原型は江戸時代初期の『料理物語』に出てくるすすりだんごとされています。その調理法は、もち米の粉とうるちの粉とを4対6の割合で混ぜて団子を作り、小豆で煮込んで塩味をつけ、砂糖をまぶしたもの。一見今と変わらない感じがしますが、当時はまだ砂糖が超貴重だった時代。砂糖はほんのわずかしか使われず、主な味付けは塩のみ。つまりもともとはかなりしょっぱい汁物で、酒肴として用いられる事が多かったようです。

 甘い味付けになったのは砂糖の大量生産が可能になった江戸時代後期になってから。当時の風俗百科事典『守貞謾稿』には汁粉売りの項目が登場します。江戸では小豆の皮を取って安い砂糖、もしくは黒糖を加えて切り餅を煮たものが、一椀16文(およそ320円)ほどで売られ、その屋台店は通称「正月屋」と呼ばれたそう。この頃にはお正月ごろに食べるイメージも定着していたんですね。

 一方、同書には京阪では小豆の皮を取らず、黒砂糖を加えて丸餅を煮たものを善哉と呼び、皮を取ったものを汁粉、または漉し餡の善哉と呼んだと書かれていました。善哉は室町時代ごろから関西の文献に登場。その語源は、出雲で神在月(他の地方の神無月)にふるまわれる神在餅が転じた説。また、一休さんが食べたときに美味しさのあまり「善哉(ぜんざい/よきかな)!」と仏教用語でほめたたえた説など諸説あります。江戸では京阪での善哉に相当する商品はつぶし餡、小豆が多いものは田舎汁粉と呼び、善哉の名を関した商品は幕末まで現れませんでした。

 食文化の辿った歴史の東西差が、お汁粉と善哉の呼び分けの差に表れているんですね。

本文イラスト:ほーりー

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