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江戸を楽しむ

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第二七回

江戸の清涼飲料水?!水菓子

 年々暑さが厳しくなっている気がしますが今年は特に暑い!熱中症対策の水分補給に気を使いながら日々を過ごしていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

 江戸の町にも、夏になると水やお茶はもちろん、水菓子を扱う行商や屋台が沢山出ました。現代では水菓子というと羊羹やゼリーなどを指すことが多いですが、もともとは果物を意味する言葉。つまり、江戸人たちは水分の多い果物を清涼飲料水のように摂取することで喉を潤していたのです。

 『名所江戸百景 日本橋通一丁目略図』は、江戸時代に風月堂が出店していた界隈の夏の情景が描かれた浮世絵ですが、ここにも水菓子の代表格・真桑瓜の行商が描かれています。

 真桑瓜はメロンの変種で、縄文時代から日本で食されていたというポピュラーな水菓子。水分が多く、ほんのりした甘みとシャキシャキした触感で、特に豊臣秀吉の大好物でした。茶会では自ら真桑瓜の行商に扮して「味よしの瓜、召されそうらえ♪」と歌う余興をしたとか。秀吉の影響か徳川家康も真桑瓜を好み、江戸近郊に真桑瓜の畑をたくさん作ります。こうして真桑瓜は江戸では将軍から庶民にまで人気の夏場の鉄板水菓子になったのです。塩をつけて食べていたようなので、熱中症対策にもバッチリですね。

 西瓜は江戸時代初期に日本に伝わりましたが、長い間人気が出ませんでした。品種改良がされていなかったので現在のような甘みが無く、切り口から赤い汁が滴る様子が人の血肉を連想させるということで、女性や子供たちが怖がってしまったのです。
 
 しかし、八代将軍・徳川吉宗が鷹狩りの際に水分不足で動けなくなった(熱中症?)時に近くの農家で作っていた西瓜を食べて渇きを癒し、見事回復したという出来事があって以降イメージが急上昇。砂糖の大量生産が可能になると砂糖をつけて食べるようになり、江戸時代後期に人気の水菓子になりました。

本文イラスト:ほーりー

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