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第弐回

カステラの来た道

 南蛮渡来のお菓子の代表格と言えばカステラ。スペインのカスティーリャ地方のポルトガル語発音がカステーラであることから、南蛮人が作るお菓子の事をカステラ、と呼ぶようになったとか。未知の国の御菓子というようなニュアンスだったんですね。
 

 江戸時代になると、日本人もカステラを作るようになります。白砂糖や卵といった当時の高級食材を使うため、3代将軍・徳川家光の頃には天皇や外国使節の供応の席で出される最高級の接待お菓子でした。やがて5代将軍・綱吉の頃に全国的に普及しますが、まだまだ武士や豪商など上流階級のみが享受出来る高級品。11代将軍・家斉の頃にようやく庶民相手の商店でも売られるようになるも、依然として値段は高く、結核患者の栄養剤として使われたりしました。

 また、この頃には料理のレシピ本の出版が盛んになり、大名家などでは自前で調理器具を揃えて手作りカステラをつくるようになります。『菓子話船橋』という史料によると“かすてら鍋”という特殊な鍋に鉄製のふたをして、その上に炭団を乗せて焼き上げる手法を取っていたようで、結構手間がかかりそう。しかし、13代将軍・家定は自らカステラを作って家臣に与えたと言いますから、料理男子にとっては作り甲斐のある御菓子だったのかもしれません。やがて幕末になると、白砂糖の普及により庶民もカステラをおやつとして食べられるようになりました。

 ちなみに当時は、現在主流である長崎カステラのようなしっとりした舌触りではなく、さくっとした歯触りの、素朴なパウンドケーキのような味でした。これがサッパリした気質の江戸っ子にも受け、明治維新を迎えた後も東京では長くこちらが主流だったそう。その伝統の味をと技法を今に伝えるのが、我らが上野風月堂の“東京カステラ”。江戸時代以来の製法にこだわり、なんと昭和30年代までは炭団を使って焼きあげていたとか!(現在はオーブンで再現)素朴な味の中に歴史を感じる逸品です。

本文イラスト:ほーりー

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