HOME ブランドサイト 江戸を楽しむ 凮月堂界隈の人びと 其の①

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第参回

凮月堂界隈の人びと 其の①

 日本橋の表通り沿いに店を持つのは、江戸時代の商人にとって一番の憧れであり一流の証。風月堂の前身である大坂屋は、二代目・喜右衛門の時に満を持して南伝馬町二丁目(現在の京橋二丁目のあたり)に出店します。
 

 ご近所にも有名人が住んでいました。その筆頭にあげられるのが松平定信です。彼は南伝馬町とは目と鼻の先の八丁堀に上屋敷を構えていました。寛政の改革を主導した敏腕政治家として有名ですが、実は茶の湯を愛する文化人という一面も。茶菓子を調達するための優良店を探していたところで知遇を得たのが大坂屋でした。定信ほどの大人物に茶菓子を届けることになった喜右衛門はこれを最高の栄誉と考えました。注文が入ると沐浴して身を清めてから必ず自分の手で菓子を作り、細心の注意を払って屋敷まで届けに行ったといいます。この喜右衛門の誠実ぶりに心打たれた定信が自身の雅号である風月の文字を入れて送った言葉が「風月堂清白」。大坂屋の屋号が風月堂に変わるきっかけを作ったのは松平定信というわけですね。

 すぐそばの京橋を渡った所には、マルチな才能を持った文化人・山東京伝が住んでいました。ペンネームの由来は江戸城紅葉山の東にあたる京橋に住んでいる伝蔵という意味。名前だけでなくその活動もユニークで浮世絵師・戯作者として活躍する一方で、紙製煙草入れをプロデュースして大ヒットさせました。芸術家集団である狩野派の拠点もこのエリアにありました。狩野派は、徳川将軍家の庇護の下、武家の正統絵画として江戸時代を通じて繁栄しましたが、その頂点に君臨していたのが日本橋の中橋狩野家だったのです。当時は狩野高信が宗家を継ぎ、多くの絵師を育成していました。
大名や武士、文化人に芸術家・・・日本橋の町人は勿論、そこに暮らす様々な感性を持った人々の中で愛されてきたのが風月堂の菓子だったんですね。

本文イラスト:ほーりー

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