HOME ブランドサイト 江戸を楽しむ 凮月堂界隈の人びと 其の②

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第四回

凮月堂界隈の人びと 其の②

 2代目・大住喜右衛門の活躍によって、江戸の菓子業界に大きな存在感を示すようになった風月堂。江戸時代後期に出版されたショッピングガイドブック『江戸買物独案内』にも“御菓子調進所”(注文に応じて品物を提供する菓子店)として紹介されています。
 

 3代目の代になっても商売は順風満帆でしたが、時代はいよいよ幕末の混迷期に突入し、徐々に歴史の歯車に巻き込まれて行きます。財政破たんをきたしていた幕府は倹約令をだし、武家の奢侈を禁止したのです。武家からの注文によって商売が成り立つ風月堂のような高級菓子商にとっては大打撃!このため3代目は「御菓子御定め値段より3分ずつの値引き」を申し出るなど、様々な努力をして店を守りました。

 しかし受難はそれだけではありません。天災や火事、疫病といった不幸が次々と江戸の町を襲います。特に安政2年10月2日、夜四ツ時(1855年11月11日21時30分ごろ)に発生したM7とも言われる直下型地震は壊滅的被害をもたらしました。風月堂があった南伝馬町は地盤が固く、家屋倒壊の被害こそ少なかったものの、地震後に発生した火災被害が甚大だったと言います。同町内にあった観光名所で、大店の蔵が四棟集まった四方蔵も、この時被災し灰燼に帰しました。

 南伝馬町の隣、大鋸町に住んでいた浮世絵師の歌川広重は地元の被災に心を痛めました。震災から2年後に四方蔵が見事に復興するとそれを祝うように『名所江戸百景 市中繫栄七夕祭』に描いています。日本橋の大店のシンボルともいうべき四方蔵の復活は、真近で営業する風月堂にとっても追い風となったことでしょうね。
激動の時代をたくましく生きぬいた3代目、喜右衛門は、新しい時代の足跡を聞きながら明治元年(1860)にその生涯を閉じました。幕末・維新を乗り越え、風月堂の暖簾は今も力強くはためいています。

本文イラスト:ほーりー

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