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江戸を楽しむ

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第七回

お菓子の売り方あれこれ

 おやつという言葉は江戸時代後期に八つ時、(およそ二時過ぎから四時頃までの間)に、身分の上下に関係なくお菓子を食べるようになったことから生まれました。間食が日常の一部になっていたんですね。一体どのように売られていたのでしょうか。

 菓子の売り方には大きく分けて2通りあります。1つ目は通り沿いに一軒屋の店舗を構える形態。風月堂のような御用菓子屋や土産物になる土地の名物菓子などを提供する店に多く、店の中に調理場があり、調理から販売、保管までを店舗で行いました。営業者の住居も同所にあり、大規模な店なら住み込みの従業員もいます。このような店では、得意先に御用聞きに上がっての注文を受け付ける場合もありました。

 また、中には注文を受けたものだけを製造する御用菓子屋も存在したようです。料金は盆暮の二回にまとめて徴収することが多かったようで、商家と顧客との信頼関係で商売が成り立っていたんですね。

 もう一つは繁華街などで仮設の店舗を出す床見世という形態。饅頭や煎餅などを提供する店に多かったようで、営業者の多くは長屋の住人です。人通りの多い場所で見世をだして不特定多数の通行人相手にお菓子を売るために、その場で簡単な調理をするなどデモンストレーションをしてアピールしました。移動しながら営業する床見世もあり、これをはこび床見世といいます。いわゆる屋台ですね。串団子や飴などもっとも安価で手軽なおやつを販売していました。屋台の菓子売りは、扮装や口上に趣向を凝らして人目を集めるのが特徴です。例えば唐人飴売りは異国人風のド派手な衣装を着て「唐のナァ唐人の寝言には“アンナンコンナン・・・チウシャカヨバ二、チンカラモ、チンカラモウソウチンカラモウソウ、かわようそこじゃいバァバァバァ”」と謎の口上を述べ、太鼓やチャルメラで拍子をとりながら踊って飴を売りました。こうなると大道芸人のような感じですね。賑やかで楽しそうです!

本文イラスト:ほーりー

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