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第九回

和菓子の歴史~小豆は肉の代用品だった?

 菓子はその字が現している通り、元々は果物のことを指していました。砂糖が普及するまでは、果物こそが甘味の代表格だったんですね。じゃあ一体どのようにして現在食べられているような和菓子が生まれたのでしょうか。ちょっと振り返ってみましょう。

 その歴史は奈良時代にまでさかのぼることができます。まず遣隋使、遣唐使が中国から唐菓子(米や豆などをこねたり揚げたりして加工したもの)を持ち帰りました。これが煎餅の原型だと考えられています。
 
 その後、鎌倉時代末期には禅宗の僧が点心の文化を日本に持ち込みます。中国では肉詰めの饅頭の点心を食べていたわけですが、僧侶たちは肉食は禁忌。このため小豆を煮詰めて肉に見立て、甘葛(蔦の汁を煮詰めて作ったシロップ)で味付たものを代用したのです。これが饅頭の原型と言われています。また、点心の中には羹というスープもあり、羊肉が入ったものを羊羹といいました。こちらも日本では羊肉を小豆に置き換えて精進料理として受け入れられてゆきます。もうお分かりですね。これ後に羊羹に進化するわけです。このように肉の代替え品として小豆を使って作られた日本風点心が、茶の湯文化と結びついて茶菓子として発展しました。

 さらに戦国時代にはポルトガル・スペインから、ビスケットや金平糖、キャンディなどの南蛮菓子が渡来し、菓子作りに砂糖や卵を使う工程が加えられるようになります。
 
 この様に国境を越えた様々な食文化が日本で融合して生まれたのが和菓子なのです。天下泰平の世の中で菓子作りはますます盛んになって菓子と言えば人の手で作られた甘味を指すようになり、果物は水菓子と呼んで区別されてゆきます。江戸時代後期にさしかかるころには砂糖の大量生産が可能となり、現在の和菓子の形がほぼ出来上がりました。風月堂がお江戸日本橋で菓子屋として暖簾を上げたのは、まさにこの時期だったのです。


 

本文イラスト:ほーりー

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