HOME ブランドサイト 江戸を楽しむ 凮月堂ゆかりの人びと 其の②松平定信

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第十一回

凮月堂ゆかりの人びと 其の②松平定信

 松平定信は御三卿・田安宗武の三男として生まれました。8代将軍徳川吉宗の孫にあたり、将軍家(徳川宗家)に何かあった時に将軍継承権が回ってくる家柄です。つまり当時の将軍、10代将軍徳川家治の世子・家基に何かあった時には11代将軍の継承権が回ってくるというポジション。次期将軍のスペア最有力候補者だったわけです。彼自身もその立ち位置を相当意識していたらしく日頃から熱心に学問にはげんでいましたが、ある日突然白河藩松平家に養子に出されて将軍候補の圏外に追いやられてしまいました。

 プライドを傷つけられた定信ですが、白河藩主に就任するとその政治指導者としての才能を開花させます。藩主に就任した当時は全国で90万人もの死者を出した天明の大飢饉の真っ只中でしたが、白河藩の領内から一人の死者も出なかったという伝説が残っているほどです。この手腕が買われて老中として幕政に積極的に関与するようになり、寛政の改革を主導しました。

 定信がすごいのは、政治家として有能だっただけではなく文化方面にも造詣が深かったこと。16歳の時に『源氏物語』の夕顔にちなんで詠んだ 心あてに 見し夕顔の花ちりて たづねぞわぶる たそがれの宿 という歌が各方面で激賞され〝夕顔の少将〟といかにも貴公子然としたあだ名がついたというのは彼らしいエピソードです。幕府の老中となってからも、茶の湯などを通した大名同士の交流を積極的に行うなど文化方面に多大な影響をもたらしました。茶の湯に和菓子は無くてはならない存在。そこで風月堂が定信の御用菓子として重用されるようになっていったのです(詳しくは第参回コラム参照)。寛政の改革の立役者は和菓子の発展にも貢献していたんですね。上野風月堂では現在も定信から受けた御恩を大切に思い、命日には〝かぼちゃ菊〟という和菓子を墓前にお供えしています。

本文イラスト:ほーりー

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