HOME ブランドサイト 江戸を楽しむ 上野凮月堂界隈の歴史~上野公園編~

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第十三回

上野凮月堂界隈の歴史~上野公園編~

 上野は東京の中でも最も古い歴史を持つ場所の一つです。縄文時代の遺跡も発掘されています。現在の上野公園一帯は忍ケ丘とよばれた草の生い茂る台地で、本郷台との間に挟まれた不忍池はナント東京湾の入り江だったとか!気候変動による海岸線の変化により平安時代ごろに池として取り残されたようです。

 

 劇的な変化が訪れたのは江戸時代にはいった寛永2年(1625年)。徳川家康のブレーンで歴代将軍から帰依をうけた天台宗の僧・天海が、江戸城の鬼門を守る為に上野忍ケ丘に土地を与えられて東叡山寛永寺を開いたことがきっかけでした。東叡山という山号は、比叡山を意味します。忍ケ丘を京都の比叡山に、不忍池を近江の琵琶湖に見立て、関東の天台宗の総本山にする戦略だったんですって。忍ケ丘にはもう一人の家康のブレーン・林羅山が塾を構えました。その名も桜峯塾。文字通りあのあたりには元々自生の桜が多い場所でしたが、さらに吉野から取り寄せた沢山の山桜を植樹したため、春には花見客が訪れるようになります。天海・羅山の死後には徳川将軍家の菩提寺となり、現在の上野公園を中心に30.5万坪という巨大な境内を有する日本一の寺院となりました。こうして上野は宗教的な聖地として、また風光明媚な観光地として整備され江戸に初めて生まれた〝名所〟になったわけです。

 

 現在の上野公園には当時を偲ぶ遺構が沢山あります。不忍池は勿論、清水寺を模して作った清水堂、江戸の人々に時間を知らせた時の鐘、円を描くような枝ぶりで上野名物だった月の松も復元されています。中でも私が必ず訪れるのは上野発展の礎を作った天海僧正の毛髪塔です。目立たないところにありますが、天海は今もこの場所から上野発展の歴史を見つめ続けているような気がするんです。

 上野風月堂界隈は歴史の宝庫!お店にいらっしゃったついでに散策してみてはいかがでしょうか。

本文イラスト:ほーりー

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