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第十八回

江戸時代には和菓子が主役の日があった!

 天下泰平の江戸時代に発達したものにイベント文化があります。もともとは貴族や武士など特権階級が行っていた年中行事を庶民もマネするようになり、娯楽化してゆきました。
 
 そのなかで面白いと思うのが和菓子を主役にしたイベントがある事。
 
 例えば6月16日の嘉祥です。旧暦の6月は暑い夏の盛り。疫病が増える時期に厄払いとして行われていた年中行事なんですね。
 
 その起源は室町時代ごろに京都で行われていた夏の納涼行事で、楊弓(弓を的に当てる遊び。現在のダーツゲーム)の勝負に負けた人が嘉定通宝16文を払って食べ物をおごったことだとか。宝の略称が嘉通でその音がに通じることから武家の間で喜ばれました。そんな理由で(笑)!

 これが和菓子のイベントになるきっかけを作ったのが徳川家康。戦国時代、三方ヶ原の戦いで惨敗した家康が嘉定通宝16文を拾い、家臣が献上した和菓子を食べたことがきっかけで開運したことが吉例となり、江戸幕府の正式な年中行事になりました。6月16日に大名や旗本が総登城して将軍から饅頭、羊羹など16種類もの菓子を頂戴する習慣となったのです。都市部の庶民もこれにならい、江戸では16文で菓子を買って笑わずに食べるという具合でした。微笑ましいですね(笑)。
 
 また、10月最初の亥の日は玄猪といって、この日に餅を食べると万病を払い、また猪が子沢山であることから子孫繁栄にもつながると信じられていました。これは平安時代から行われていた年中行事で、江戸時代には武家では紅白餅を、庶民は牡丹餅を食べる習慣が定着します。

 この様な和菓子が主役の行事の際には当時京橋に店を構えていた風月堂にも沢山の人が訪れて大忙しだったことでしょうね。現代ではほとんど忘れ去られてしまったイベントですが、復活させたら面白いのになぁ~なんて妄想してしまいます。

本文イラスト:ほーりー

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