江戸を楽しむ

Enjoy Edo

第二九回

お節と和菓子

 日本の年中行事の中でも特に重要なのがお正月。家族でお節を食べたという方も多いのではないでしょうか。

 お節というのはその名の通り、お節句に食べる特別な料理=行事食の事。現代ではお節というと正月の料理のことを指すようになっていますが、年中行事が盛んだった江戸時代には各行事毎にお節があり、それを食すことも大きな楽しみだったようですよ。

 正月料理のお節のことは江戸では喰積と呼びました。

 喰積は、三方の真ん中に松竹梅を置き、そこに密柑、橘、榧、串柿、昆布や伊勢海老などを積んで、裏白、ゆずり葉などで飾ったもの。江戸時代中頃まではこの中の食材をつまんで食べていたのですが、徐々に食べずに飾るだけの縁起物になってゆきます。

 このため喰積のお節とは別に、実際に食べられるお祝いの肴を詰めた重詰が作られるようになりました。これが現在の重箱に入ったお節の原型ですね。

 重詰めの主な内容は、沢山の卵があるというところから子孫繁栄の願掛けである数の子。一年中「まめ、(まじめ)」に働き健康に暮らせるようにとの思いを込めた黒豆、根が地中深く入るところから家の基礎が地の底まで堅固であることを祈る意味があるごぼう、腰が曲がるまで丈夫でいたいという願いを込めた海老、よろこぶに通じる昆布などなど駄洒落満載の・・・イエイエ、縁起を担いだ、現在でもお馴染みの品々です。

 金運アップを祈り、金の団子を連想させる金団も入っていました。金団は現在では甘く煮た栗を薩摩芋の餡でまぜた栗きんとんですが、江戸時代の資料を見ると和菓子の金団(餡子を求肥で巻き、その周りにそぼろ状にした餡をくっつけた上生菓子)だった模様。

 なかなか素人が自宅で作れるようなものではないので、風月堂のような御用菓子屋に注文が殺到したことでしょうね。

本文イラスト:ほーりー

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