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江戸を楽しむ

Enjoy Edo

第三十回

お花見鉄板スイーツ

 庶民がお花見を楽しむようになったのは天下泰平の江戸時代から。

 上野風月堂のすぐそばにある上野公園は、東京屈指のお花見の名所ですが、これは江戸時代初期に幕府が上野を観光地化し、桜の名所として整備した(第13回コラム参照)からです。

 天和年間(1681年~1684年)にかかれた『紫一本』という史料には、当時の上野のお花見は、何人かで集まって、毛氈やゴザを引いた上に弁当を広げ、昼間からお酒を飲みながら歌ったり踊ったりするものだったと記されています。300年前からお花見の基本的なスタイルは変わらないんですね(笑)。

 江戸時代後半には、お花見弁当のバリエーションも豊富になりました。享和元年(1801年)に書かれた料理専門書『料理早指南』には豪華なものから質素なものまで、上、中、下に分けた献立例が紹介されています。
一番豪華な上は、おにぎりとお惣菜の割籠+四段重になっていて、一の重が伊達巻やかまぼこ、タケノコなどのおかず。二の重が蒸し鰈や桜鯛など調理した魚で、三の重がお刺身。そして四の重には和菓子がぎっしり。内容は金団、餅、饅頭や軽羹などです。

 和菓子はお花見につきもで、屋台も沢山出ました。特に人気だったのは桜餅。隅田川のほとりにある長命寺の茶屋で売り出したのが最初で、文政8年(1825年)の随筆『兎園小説』を現代語訳すると「去年一年の仕込み高は、桜葉漬込三十一樽であった。桜葉は一樽におよそ二万五千枚程入るので、葉数はしめて七十七万五千枚となる。餅一個につき葉を二枚使うので、(この年一年で売れた)桜餅の数は三十八万七千五百個という計算になる」とのこと。年中無休で営業したとして、一日1000個以上売れた計算になります!お江戸のメガヒットスイーツですね。

 「花より団子」の言葉もあるように、和菓子はお花見の大きな楽しみだったようです。

本文イラスト:ほーりー

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