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第三二回

栗の節句に栗名月

 古くから日本に自生していた栗は、日本人にとって最もなじみ深い食材のひとつ。
 
 縄文時代には主食でしたし、平安時代には飢饉に備えた非常食としても栗の栽培がおこなわれるようにました。戦国時代には、栗の実を干して臼で軽く搗いて殻と渋皮を取り除いた「搗栗(かちぐり)」を兵糧として、また、その音が、「勝ち栗」につながると縁起を担いで出陣や祝勝の時に用いています。
 
 江戸時代に入ると、栗は年中行事の中にも登場するようになります。
 
 例えば旧暦9月9日(新暦だと10月上旬ごろ)の重陽の節句。いまではなじみが薄いですが、当時は陽の数(奇数)の最大値である9が重なる吉日であることから大切にされていた祝日です。
 
 このころがちょうど栗などの作物の収穫時期と重なることから、庶民は栗を送りあい、行事食として栗ご飯を食べました。このため「栗の節句」とも呼ばれていたんですよ。
 
 また、江戸っ子は8月15日の十五夜以外に、9月13日にお月見を楽しみました。これおを十三夜といいます。
 
 この時にお月見団子とともにお供えしたのが栗。お供えした後は、家族や親しい人たちと栗を食べます。このため、十三夜の月を「栗名月」と呼んだんです。
 
 当時から栗はおやつとしても大人気。シンプルな茹で栗や、焼き栗はもちろん、栗をすり鉢で潰して砂糖を混ぜて、茶巾で絞ったお菓子も誕生します。これが現在、和菓子の世界で栗きんとん(お正月にいただく栗きんとんとは別物)、もしくは栗茶巾と呼ばれているお菓子の原型です。
 
 さらに、日常の食卓にも登場。生栗を細く切って針生姜と混ぜてなますの添え物にする栗生姜が流行したり、味噌煮や白和えにしたレシピも残っていたりと、調理のバリエーションはかなり豊富です。
  
 現代人よりも栗好きかも?!

本文イラスト:ほーりー

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