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第三七回

しょくらあとがチョコレートになるまで

 まもなくバレンタイン。バレンタインといえばチョコレートですが、日本に初めてチョコレートが伝わったのは江戸時代後期のこと。
 
 寛政9(1797)年に、外国との窓口があった長崎の遊女が、オランダ人からもらったプレゼントを報告する文章の中にでてくる「〝しょこらあと〟」が、日本最古のチョコレートの記録です。
 
 ただこのチョコレートは、私たちが想像するものとは全然違ったよう。
 
 寛政12(1800)年にかかれた『長崎見聞録』という史料には「〝しょこらあと〟は外国人の薬で、熱湯に削って入れて、卵と砂糖を入れてかき混ぜて服用する」と書かれているんです。
 
 ほかの医学書にも、〝しょこらあと〟の効能は「よく眠れる、気分が晴れる、元気になる、疲労回復」などと紹介されていて、滋養物として見られていたことがわかります。
 
 実はこのころはまだ、世界的にも食べるチョコレートは発明されておらず、薬になる飲み物、という位置づけだったんです。
 
 やがてオランダでココアパウダーが開発され、イギリスで固形の食べるチョコレートが商品化されると、ヨーロッパ中に広まってゆきました。
 
 幕末の慶應4(1868)年、パリ万博に幕府代表として参加した徳川昭武の日記には「朝、シェルブールのホテルでココアを飲んだ」とあり、これが日本人が初めてチョコレートを口にした記録とされています。
 
 また、明治時代になると岩倉遣欧使節団が、フランスのチョコレート工場を視察して「極上品の菓子」と紹介したことから、日本でも国産チョコレートがつくられるようになりました。はじめは猪口令糖、貯古齢糖などの当て字があてられ、あまり流行りませんでしたが、徐々に市民権を得て現在に至ります。
 
 今年は上野風月堂のバレンタイン商品がリニューアルするそう!楽しみですね。

   〝しょこらあと〟がチョコレートになるまで

本文イラスト:ほーりー

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