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第三九回

江戸時代の水物菓子

 上野風月堂の水物菓子(水羊羹やゼリー)サマーギフトのパッケージがリニューアル!見た目にも涼しく夏の贈り物にピッタリです。
 
 日本古来の水物菓子といえば、ところてん。
 
 天草などの海草を煮だし、冷やして固まらせて作る製法は、飛鳥時代、仏教伝来とともに中国から伝わりました。このころは特権階級の食べ物でしたが、長い時間をかけて製法が民間に伝わり、江戸時代に入ると庶民の夏のおやつとして親しまれるようになります。
 
 暑くなってくると、ところてんの行商が現れ、目の前でところてん突きで突いてお皿に盛ってくれるんです。値段は一個一文(およそ20円)なので、駄菓子感覚ですね。
 
 手軽な間食としての食べ方は、江戸では醤油か砂糖をかける。京坂では醤油はかけず砂糖をかけて食べる。など、地域によって違いがありました。
 
 また、赤、白、黄色に着色して、黄な粉と砂糖をかけて食べるというグレードアップ版も登場して人気があったんですよ。江戸人も「映え」を気にしてたのかな?(笑)
 
 ところてんを凍結、乾燥させた寒天が生まれたのは江戸時代初期のこと。寒い冬の日、ある京都の旅籠で料理に使った残り物のところてんを、外に捨てて放置していたことがありました。すると、ところてんは一度凍り、やがて日中の日差しで解凍されて乾燥し、白く半透明な乾物に変化。これを試しに溶かして食べたところ、ところてんより海草臭が少なくて美味いじゃないか!ということになり定番化。
 
 由来を聞いた高僧の隠元禅師が、冬の空を意味する寒天と名付けたといわれています。
 
 ちなみに、寒天を煮溶かして砂糖とこし餡を混ぜて固めてつくる水羊羹も江戸時代に誕生。ただ、練羊羹に比べて、寒天、砂糖、こし餡の量が少なく、煮詰めないので傷みやすいんですね。このため、当時はもっぱら冬のお菓子として親しまれていました。

本文イラスト:ほーりー

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