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第四三回

江戸の「映える」涼菓・金玉糖

 上野風月堂では、6月からゼリーや水羊羹などの涼菓が登場します。

 江戸時代の涼菓といえば、金玉(きんぎょく)糖。当時は金玉羹、錦玉糖、もしくは琥珀色に着色したものがあったことから琥珀糖など、様々な呼び方をされていました。現在では琥珀糖の名称が定着していて、「映える和菓子」「食べる宝石」としてSNSなどでも注目されています。

 作り方は、寒天に砂糖や水飴を混ぜ、型に入れて固める。というシンプルなものですが、半透明の見た目がとっても涼し気で、まるで宝石のように美しいことが特徴。食感も、外側がシャリシャリ、中はプルプルのゼリー状。しかも白砂糖をたっぷり使っているからとっても甘いという、唯一無二の個性を持っています。

 その始まりは江戸時代初期のこと。諸説ありますが、前にご紹介した寒天の発明者・美濃屋太郎左衛門(第三十九回コラム参照)が、寒天に白砂糖を混ぜてお菓子を作ったのが最初という説があります。

 この頃は日本で白砂糖をつくる技術が無く、輸入に頼っていたことからとても高価で、文字通り金や玉(宝石のこと)のような超高級涼菓でした。

 やがて時代が下ると、白砂糖の国産化が奨励され、江戸時代後期には量産体制がととのい、庶民も白砂糖をたっぷり使った甘いお菓子を楽しめるようになります。

 また、このころには透明度の高い寒天液をつくる技術も確立しました。こうして菓子職人がこぞって工夫を凝らし、様々なバリエーションの金玉糖が作られるようになったんです。

 当時の和菓子レシピ集『菓子話船橋』にも、柚子や九年母などの柑橘類を使った金玉糖の作り方が紹介されています。蒸し暑い季節にぴったりの、さっぱりした味付けの「映える」涼菓を、江戸人も楽しんでいたんですね。

 

本文イラスト:ほーりー

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