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第四六回

江戸の夏の風物詩・不忍池の蓮見

 上野風月堂のほど近くにある不忍池は、縄文時代には東京湾の入り江が入り込んでいて海とつながっていました。それから長い時間をかけて周囲の陸地化が進み、平安時代ごろに池になったと考えられています。

 不忍池と呼ばれるようになったのは室町時代ごろ。上野のお山(現在の上野公園一帯)が忍が岡と呼ばれていたのに対して、不忍池と呼ばれるようになったという説が有力です。 

 江戸時代になると不忍池は観光地化しました。きっかけになったのは、徳川家康、秀忠、家光と三人の将軍に仕えた僧侶・天海が、忍が岡に寛永寺を創建した事。この時に寛永寺を東の比叡山と位置づけて山号を東叡山とし、不忍池は琵琶湖に見立てることにします。

不忍池の中には琵琶湖の竹生島に模した中島が人工的に築かれて、弁天様が安置されました。この結果「不忍池に行けば、江戸に居ながらにして琵琶湖周遊気分を味わえる!」と、江戸を代表する観光名所になったのです。

 春は花見、夏は蓮見、秋の月見に、冬の雪見と、四季を通じて沢山の観光客が訪れましたが、特に人気だったのが夏の蓮見です。

 江戸時代の後期に書かれた年中行事の紹介本『東都歳事記』によると「不忍池は江戸一番の蓮池。葉は水面を覆い、蓮蕚は鮮やかで、芳香は特に素晴らしい。これを見ようと人々は夜明け前からこの地に集まる。このため、このあたりでは荷葉飯(はすのはめし)を商う店が多く名物になっていた」とのこと。

 荷葉飯は当時の様々な料理書に載っていて、調理法は蓮の葉に飯を包んで蒸すものや、蓮の葉を刻み入れ菜飯のように炊くもの、蓮の葉を煎じてその汁で飯を炊くものなど様々。「去年はあの店で食べたから、今年はこの店で食べてみよう」なんて考えるのも蓮見の楽しみだったでしょうね。

 現在でも不忍池の蓮は実に見事で、私も毎年見に行っています。皆様も機会があれば是非。そしてお土産は上野風月堂で!

本文イラスト:ほーりー

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