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第四五回

ソメイヨシノ誕生秘話

 花の便りに心弾む今日この頃、皆様いかがお過ごしですか。私はこの季節に期間限定で発売される上野風月堂の「プティゴーフル さくら」を食べるのが楽しみ。桜の香りがフワッと香り、春を感じてウキウキします。

桜は一週間くらいで一斉に咲いて一斉に散るイメージがありますが、これは現在主流の品種であるソメイヨシノが、親木から接ぎ木などで増殖したクローンだから。

では、その親木はどこにあるのでしょう?それは上野風月堂のすぐ近く。上野公園の小松宮彰仁親王像近くのソメイヨシノである可能性が高いということが最新の研究で判明しました。この場所には4本のソメイヨシノが植わっていて、この4本から全国に広まったと考えられるそうです。そして、このうちの1本がソメイヨシノの元祖となる原木に最も近いということも分かりました。

ソメイヨシノの品種自体が誕生したのは、江戸時代の中期ごろ。江戸の染井村(現在の豊島区駒込)で伊藤伊兵衛の名を代々襲名していた植木職人が、交配により人工的に作り出したという説が有力です。

それがどういった経緯で上野公園に持ち込まれたのか。詳細は不明ですが、上野公園は江戸時代には寛永寺の境内で、小松宮彰親王像が立っている場所には鐘楼堂がありました。

寛永寺は江戸時代初期に整備された江戸随一の桜の名所(第十三回コラム参照)ですが、その寛永寺ができる前には津藩藩主・藤堂家の屋敷などがありました。実は伊藤伊兵衛はこの藤堂家に仕える植木職人。寛永寺開山にともなって藤堂家の屋敷が染井村に移る際も行動を共にし、拠点を染井村に移しました。 

伊藤伊兵衛にとって、主家の藤堂家縁の地で桜の名所でもある寛永寺の境内は、新種の桜の育成&お披露目の地として最適だったのでしょう。江戸生まれのソメイヨシノが、上野から全国に広まって現代人にも親しまれている。なんだか感慨深いですね。


 

本文イラスト:ほーりー

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