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上野風月堂について

History of Fugetsudo

15 江戸時代のお弔い~〝かぼちゃ菊〟にちなんで~

 先日、上野風月堂にて初のワークショップが開催されました!職人さんからレクチャーをいただきながらの和菓子作り体験や、私が担当した座学、パーラーでの会食を通じて、参加者の皆様は上野風月堂の味と歴史を堪能した御様子でしたよ~。

 和菓子作り体験では〝かぼちゃ菊〟を作成。材料を木型に押し込んで形を作る落雁の御菓子です。〝かぼちゃ菊〟は現在、通常はお店で売られていませんが、風月堂の屋号の名づけ親である松平定信公ゆかりの品であることから、定信公の御命日にのみ特別に作られて〝かぼちゃ菊 大住喜右衛門〟という商品名で少量限定販売し、墓前にも献納されています。定信公の死から180年以上たってもお弔いを続けているなんて、スゴイ!

 そこで今回は、江戸時代のお弔い文化についてちょっとお話してみたいと思います。人が亡くなった際に行う葬送儀礼の原型が出来上がったのが江戸時代でした。ただ、このころは現在のように葬儀社主導の画一的な決まり事があったわけではなく、身分や経済力、または故人の遺志によってさまざまなスタイルでお弔いが行われていたんです。

 例えば『東海道四谷怪談』の作者として有名な四代目・鶴屋南北は「自分が死んだら枕元の箱を開けるように」と遺言。南北の死後、遺族が言われた通り箱を開けてみると南北が自分の葬式をプロデュースした台本『寂光門松後万歳』と、一周忌をプロデュースした台本『極楽のつらね』が入っていました。葬式と一周忌はこの内容に沿って行われ、弟子たちが赤前垂れをかけた団子屋の扮装で弔問客を出迎えてお茶菓子を配るなど、まるで芝居の1シーンのようだったといいます。

 意外なくらい自由だった江戸時代のお弔い。形式や体裁にとらわれず、故人を偲ぶ思いが一番大切だと考えられていたんですね上野風月堂が定信公の墓前に〝かぼちゃ菊〟をお供えし続けているのも、きっとこういった思いが受け継がれてきたからこそなんだろうなぁ。