History of Fugetsudo
1930 昭和(戦前)のおはなし
1930年(昭和5年)、上野風月堂店舗の隣地に増築したモダンな洋館が話題となりました。
1階は喫茶、2階は洋食レストランとして営業がなされ、多くの文化人や著名人に愛される店として知られるようになりました。
80人以上の菓子職人を抱え、昼夜交代制での菓子作りに追われる繁栄ぶりで、当時としては珍しい電話の交換手も雇われていました。
1913年(大正2年)には省三郎の長男・重雄が誕生するなど後継者にも恵まれ、上野風月堂は積極的な事業展開を行っていきました。
増築をしたモダンな洋館の上野風月堂。
1930年(昭和5年)の日付が見られる省三郎のレシピノート。
現在の東京カステラの原型となった「6面焼きカステラ」の火力を改善する案がメモされている貴重なものです。
ところが1930年代を迎えると日本にも戦争の足音が忍び寄ります。
省三郎の長男・重雄も1937年(昭和12年)に招集を受けて出征、軍隊生活を送ることを余儀なくされました。
1941年(昭和16年)には太平洋戦争に突入。洋菓子の製造にも戦時統制がかかります。
都内の菓子・パン製造業の数は1940年(昭和15年)に2万6,500軒であったものが、1942年(昭和17年)にはわずか1,500軒までに減少しました。
おいしいお菓子を作りたくても原材料が手に入らない状況は、上野風月堂のみならず、日本中の菓子商が最も苦しかった時代と言えるでしょう。
戦前の上野風月堂の菓子工場の様子。当時として近代的なレンガ造りでした。